ここ最近、ウーが生まれてからやっと、必要な時にアンを冷静に叱れるようになった。
躾けを意識するようになったのは2歳を過ぎてから。
自分がされたら嫌だなと思うことを、他の人にもするべきではないということを、必要な時言葉を尽くして伝えてきた。
でも、子供がありのまま感情をぶつけてきたり、大人の回路では理解できないものを目の当たりしたり、また自分の気分や体調が優れない時などは、ついこちらも感情的になって怒ってしまっていた。
もちろんロボットではないのだから、大人だって感情に流されてしまうことも自然だし、それを子供が見ることは間違っていることではないと思う。
でも、本当に何かをおしえたい、伝えたいという時、どれだけ子供が泣きわめいていても、駄々をこねて手がつけれないほどでも、ぐっと堪えて冷静に向き合うことは大切だ。
その時はイコールの目線ではなくて、私達がおしえる、伝える側として凛と上に立って、言葉をきちんと選んで、子供の目をしっかりと見て話すべきだと思う。
目を反らすということは、口から出ている言葉も反れていく。
目力というのは本当で、ちゃんと相手を見て話すと、話していることがちゃんと伝わる。
目があちこちに動いて話しがちな大人は、実は上の空で、言葉に重みがなかったりする。
子供は大人が冷静になれば、素直だからちゃんと反応し、聴く耳を持つものだ。
でもそこで大人があやふやに言って躾けた振りだけをしたり、怒ることが叱ることだと勘違いしていたり、まして優位な力をつかってしまったら、子供は深く傷つくだけだ。身に染みない。
一人の母親としてそれができるようになるまで、私は3年もかかった。

アンは夕ご飯の時、遊び食べをしがちなので、毎日口を酸っぱくして言っている。
あまり言いすぎるとストレスになるだろうし、ごはんの時なのだから、本当はあまり言いたくない。
けれど、ごはんを食べる際の最低のマナーや感謝の気持ちを無視するわけにはいかない。
この前は、度が過ぎた態度をとったので、びしっと叱った。
アンは 「ママが怒るの嫌だ〜」と言って泣き出したけれど、私は続けた。
「〜をしてはいけない。〜だから」という話からどんどん哲学的な話になっていってしまい、でも話している時私は真剣勝負だった。今伝えないとという思い、今ならアンに伝わるという思いで。
そういうタイミングがきっとあるのだ。子供と親だけではなく、誰と誰の関係でも同じように。
今だから伝えたいこと、伝わることというのがあって、そのタイミングを逃したり、フォーカスがずれてしまったら一生伝わらないこと。
全ては、ハーモニーなんだよ、ということを私はアンに伝えていた。
ハーモニーって、歌のことでしょう? とアンは言った。
そう、一人の人が歌って、それに合わせて他の人が歌う。それで素敵な音が醸し出されて、ハーモニーとなって、一つの歌になる。
それと同じ。ごはんだって、例えば一緒に食べるから美味しいものがあって、一つ一つ食べていたら、その絶妙なコンビネーションがわからない。(その日の夕ごはんのエビとベーコンのドリアを例にした 笑)
お花だって、赤い花が一つ野原に咲いていて綺麗だけど、後ろに緑の草があるから、合わさって美しい。
誰かとお話することだって、ハーモニーで成り立ってる。
なんでも、ハーモニーで本当は本来できているんだよ。
というようなことを、私はアンに話した。
アンはずっと私の目を見て、分かりたい、という顔をして、聴いていてくれた。
その日アンはちゃんと夕ご飯を食べ終わり、後で「アンもう絶対にしないから」
と言って、私のほっぺに何度もキスをしてくれた。
伝わった。
私とアンの貴重なハーモニーだった。